コラム”be mellow” vol.5
美しくあるということ
10年ぶりに顔のパックをした。
長男が小さい頃には、肌の乾燥やシミが濃くなるのが気になって、しょっちゅうしていたお手入れも、2人目が生まれ、3人目が生まれる頃には、全くしなくなってしまった。
時間がなかったというのもある。5分くらいの時間なら、いくらでもありそうなものだから、そんな余裕がなかったというべきか。
もちろん、多少は増えていく体重や白髪、シミは気になったけれど、それ以上にやりたいことがあった。子どもたちのおやつを作ったり、原稿を書いたり、おままごとに付き合ったり、ゴロンと横になったり……。
つまりは、「女性らしく美しくあること」がプライオリティの下の、下の方に行ってしまったのだ。こういうのを世間的に「老化」とか「劣化」というのかもしれないけれど、そんな私を子どもたちは丸ごと受け入れてくれて、「おかーさんが一番かわいい」と言っていたし、それが真実ではないことを近いうちに悟るであろうことを分かっていても、素直に嬉しかった。
今は、少し髪や肌のお手入れをできるようになって、気が向いたらする。けれど、未だにプライオリティの上の方にはこない。そして、別にそれがダメだとも、改めようとも思わない私がいる。なんなら女であることが時折面倒になる、と言ったらさすがにアカンか…。こういうことを言ったら自己否定をしていると言われたりしてしまうのかな。
でも、女性であること、男性であることを超えた関係性に最近、妙に惹かれるのは事実。性別という枠を外して、自由になれたらなと思うのだ。40後半過ぎて、そんなことを思うというのは裏を返せば、がんじがらめになっていたということでもある。女性であるということ、母親であるということ、妻であるということ、その役割において優秀でありたいということに。
ところで、本題には全く関係ないのだけれど、先ほど使った「劣化」という言葉を特に最近よく目にする。今、一番嫌いな言葉である。たとえ、それが私の現状を的確に表していたとしても、「劣化」なんて言葉を使う輩の頭の中こそ「劣化」してるんじゃない、と心の中だけじゃなく、こんな風に公に毒づいてしまう。……これも年齢のなせる業か。