コラム“be mellow vol.8”

コラム

私らしく生きる? フリーライターが再び“勤め人”になった訳(3)

フリーライターであった私が英語事務の仕事を見つけるまでの経緯について、前回触れた。もし、興味ある方は読んでみてほしい。
ここで、なぜ私がフリーライターをなぜ辞めようと決意したのか(実際にはまだ書いているけれども)というところを述べておきたいと思う。
「フリーライター」と名乗ると、大抵の人は驚き、さらに子供がいることを知ると「家で仕事ができていいね。羨ましい」と言われる。世間的には、フリーライターとは自宅でパソコンを相手に文章を書いている、お気楽な職業だと思われているらしい。子供が生まれ、周りに同じような状況の女性が増えてそんなことに気付いた。
しかし、実際には家で調べ物をして、書いているだけのライターは少ないのではないか。(この辺は、私はライター仲間がいないので知らないのだけど)。あくまで私の印象だけど、そういったライター稼業をできるのは実績や人脈のある人か、仕方なくそういう仕事を受けている人である。あるいは今から華々しいライターデビューを夢見て、どんな仕事でも引き受けている若い人か。
まあ、いろんな分野で文章を書いていくことが必要なわけだから、一概には言えないけれども。とにかく私に関しては取材をして書くというのがメインの仕事で、その仕事が好きで好きでたまらなかった。普段は人見知りで口下手なのに取材になると、初対面の相手でも平気で話せる。取材する人、もののことが知りたくて、そして伝えたくて書いた。
だから、色んな人から子供が生まれてすぐは復職しないほうがいいよとアドバイスを受けていたにも関わらず、すぐに復帰した。さすがに取材は無理でしょうと言った出版社も説き伏せ、取材に出た。ライター生命と言うほど、大げさなものなのか分からないけれども、その時の決断が、それ以降の仕事を大きく影響した。

長男が10カ月の時、40℃の高熱を出して熱性けいれんを起こして入院をした。翌日は大切なインタビューの日。フリーランスが仕事をドタキャンなんて許されないことだ。でも、息子は点滴につながれ、ベッドに固定されていた。母として、当然のように仕事をキャンセルしたかというとそうではなかった。迷いに迷ってキャンセルの電話をかけた。
もちろん、それから取材の仕事はこなくなった。その時から、とっくに私は自分がありたいと思ったライターではなかったのかもしれない。でも、三人の出産を経て仕事は確実に減っていたものの、全くないわけではない。私はそれをいいことにフリーライターという仕事を続けた。
でも、本当は自分の気持ちに蓋をしていたのだ。私はもっと書きたい。それから15年以上が経ち、今の私は書けないのなら、もっと別の仕事をしようと気持ちを切り替えた。結局、私は母親、妻であることに満足していない。家じゃないどこかで評価される、自分自身をあますところなく発揮できる場所が必要なのだ。
ああ…。今まであまり語ったことのないことまで書いてしまった…。まだ続きます。

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